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素敵なあなたに

今月の「素敵なあなたに」


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素敵なあなたに

あの超大作に再チャレンジ。

☆『戦争と平和』、『罪と罰』、『カラマーゾフの兄弟』といった小説から懐かしのマンガまで、名作の復刻本がブームです。書店で目を引くように装丁や表紙のデザインを工夫し、外国小説の場合はより読みやすいように新訳を採用しているのが人気の理由で、学生時代に途中で断念した長篇に再挑戦する人も多いそうです。深まる秋、大好きなコーヒーを味わいながら、名作を堪能してみてはいかがですか?



歴史街道を歩く・その9 みなと街・神戸の今昔物語 沈む太陽を扇で止める!?

☆瀬戸内海に面した神戸港は古くから貿易港として栄えました。奈良時代には神戸港は「大輪田泊(おおわだのとまり)」と呼ばれ、中国や朝鮮半島との交流の玄関口となっています。平安時代になると、都の置かれた京都と瀬戸内海航路を結ぶ港としていっそう発展。遣唐使の出発港となり、空海や最澄も神戸の港から大陸へと渡ったと伝えられています。平安末期には、大陸との交易の重要性に着目した平清盛が大輪田泊を改修し、さらに人工島の「経ヶ島」を築造しました。工事は困難を究め、清盛は石に経文を書いて海に沈め、成功を祈念したことから人工島は経ヶ島と呼ばれるようになったそうです。また、進まない工事に業を煮やした清盛は、沈もうとする太陽を扇で招き返したという伝説が残っています。

北前船が行き交う貿易港

☆一の谷の合戦で平家が敗れ、1192年に鎌倉幕府が開かれる頃になると、大輪田泊の周辺は町として発展します。さらに、荘園の発達に伴って年貢輸送船が瀬戸内海を盛んに往来するようになると、兵庫関が置かれます。室町時代には「兵庫津」と呼ばれ、中国大陸との貿易港として栄えましたが、応仁の乱以降の戦乱によって町は荒廃。貿易港としての中心的な役割を堺に譲ります。

☆しかし、豊臣秀吉によって堺の商人が大阪に集められると、兵庫津は再び交易港としての賑わいを見せるようになります。北海道から日本海を南下し、下関を経て瀬戸内海から大阪に至る、北前船の西廻り航路が1672年に開かれると、兵庫津の町に宿駅が設けられます。天然の良港の兵庫津は瀬戸内海の航路の要衝となり、塩、酒、醤油、昆布、ニシンなどを載せた船が行き交うようになります。


居留地のためにコーヒーを輸入

☆1868年、兵庫港が開港します。しかし、港が築かれたのは、兵庫津があった場所ではなく兵庫津の東方の神戸の入り江。英国公使が兵庫津より港に適している地として神戸を選んだのです。港の後方の鯉川から生田川にかけての一帯は居留地として整備が進められました。やがて居留地の外国人のためにコーヒーの輸入が始まり、1874年には元町に「放香堂」というコーヒーハウスが誕生したと伝えられています。1892年、兵庫港は勅令により「神戸港」となり、1908年にはブラジルへの最初の移民を乗せた笠戸丸が神戸港から出港。現在も日本に輸入されるコーヒーの多くが神戸港で荷揚げされるなど、神戸港とコーヒーは深いつながりがあるのです。次回は神戸の異人館や歴史スポットを訪ねる予定です。




なるほど珈琲学 1日何杯コーヒーを飲みますか?

☆コーヒーを1日に3杯以上飲む男性は、ほとんど飲まない男性に比べて、すい臓がんになる危険度が低いという調査結果が、厚生労働省研究班により発表されました。報告によると、1日に1〜2杯コーヒーを飲む男性の危険度はやや低く、3杯以上飲む男性はさらに低いそうで、コーヒーをよく飲む男性ほど危険度が下がる傾向が認められています。

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