◎キリマンジャロ山中でのコーヒー栽培は、キリスト教会の主導により1901年に始まりましたが、栽培が広く普及したのは、第二次世界大戦後のことです。戦後〜1950年代にかけてコーヒーの国際価格が大きく上昇。コーヒー販売で家屋を建てられるようになり、主食のバナナ畑の中にこぞってコーヒーが植え付けられたようです。
◎キリマンジャロ山の農民は、コーヒーの販売代金を、主に農業経営費、家屋建設費、教育・医療費として支出します。とりわけチャガ民族は教育を重視することで知られ、高学歴のために他民族からねたみを買うほどでした。その教育を支えていたのが、コーヒーの販売収入だったのです。
◎ところが、コーヒーの最盛期は長く続かず、70年代は病害の発生、80年代は樹木の老化で収穫量が大きく減少しました。90年代以降は2001〜02年の「コーヒー危機」(国際価格の史上最安値)が象徴するように、コーヒー価格が著しく低迷しています。子どもたちは進学の断念や休学を余儀なくされることもあり、村民は大切な資産(林木・家畜・農地)を売り、なんとか教育経費を捻出していますが、教育面での優位性を失いつつあります。
◎「フレンドシップコーヒー」は、最低価格が保障されています。その価格は、村民たちが増産に努めれば、教育経費を容易に確保できる水準です。また還元金によって、ルカニ中学校の建設も進んでいます。香味を楽しむだけでなく、生産者の教育も支えられるコーヒーなのです。
|
|
キリマンジャロ・ルカニアラビカ(150g)……882円
※計量販売もしております。一部取扱いのない店舗もございます。 |